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国旗損壊罪に「牙」を持たせる異様

●今国会で成立した、SNS規制法には「罰則なし」     本日7月13日、選挙期間中のSNSにおける偽情報対策を強化する改正法「SNS規制法」が参院本会議で可決、成立した。生成AIによる偽動画への表示義務や、プラットフォーム事業者への対策義務化を柱としているが、ここで注目すべきは「罰則なし」という点だ。 「選挙の公正を害してはならない」と謳いながら、違反しても事業者への行政的な指針にとどまり、実質的な強制力はない。     この構図には既視感がある。2016年施行の「ヘイトスピーチ解消法」だ。「差別的言動は許されない」と宣言しながら罰則は一切なく、結果として今なおネット上や街頭でのヘイトスピーチは根絶していない。     この二つの法律に共通するのは、すでに多くの被害者を生んでいる「実害」があるという事実だ。誹謗中傷やヘイトスピーチを苦に命を絶った人、心を病んだ人は少なくない。     今年1月の衆議院選挙でも、選挙期間中の誹謗中傷・偽情報動画が当落に影響を与えたと見られる。     民主主義を揺るがし、個人の尊厳を傷つけるという、法律を作るべき明白な根拠(立法事実)が山ほどあるにもかかわらず、市民の安全や民主主義のシステムに関わる法律には、表現の自由への配慮を隠れ蓑にして、罰則が避けられてきた。 ●国旗損壊罪だけが「牙」を持つ この二つの法律と比べてみると、今国会で成立しそうな「国旗損壊罪」の扱いは際立って異質だ。日本の国旗を傷つけたり汚したりした場合に「2年以下の懲役または20万円以下の罰金」を科すというもので、しかも被害者の告訴がなくても警察が独自に捜査・起訴できる非親告罪にする方針だという。     冷静に考えてみよう。日本国内で、日の丸を破り捨てるような実害がどれほど発生しているだろうか。仮に発生していたとしても、器物損壊罪で対応可能だ。     つまり、新法が迫られるほどの立法事実が見当たらない。そもそも「国旗を大切にしよう」という理念を掲げる法律に、懲役刑という重い罰則はそぐわないはずだ。     三つの法律を並べると、その異常性が浮き彫りになる。 SNSの偽情報対策: 甚大な実害(立法事実あり)...

国会の泥仕合を単なる政局と見るべきでない「政権の狙い」​

   物価高、円安。生活実感として最も苦しいこの時期に、国会は皇室典範改定と副首都構想、議員定数削減をめぐって泥仕合を演じている。「今そんなことをやっている場合か」というもどかしさは、多くの国民が共有する率直な感覚だろう。 ​    私の目にも最初は、「自分らのやりたいこと最優先のわがまま与党」と「なりふり構わないみっともない野党」の不毛な争いと映っていた。      しかし、高市政権になってからの動きを俯瞰すると、目の前の泥仕合に目を奪われていては、もっと大きな「社会の基本設計(OS)そのものを書き換えようとする動き」を見落とすと気づいた。 ​    その不穏な動きは、領域の異なる3つの政策として、同時に姿を現している。 ​     それを、中央集権化へ向かう3つの足枷と呼びたい。     ひとつめは、内心の自由に踏み込む「国旗損壊罪」。     非親告罪という設計は、被害者の訴えなしに国家が動ける仕組みであり、思想に対する刑罰の最初の一手となるものだ。国旗という象徴への不敬から、総理批判、やがて政策批判までも萎縮させる狙いがあるだろうことは、不敬罪や治安維持法のあった時代を振り返れば明白だ。 ​    ふたつめは、「皇室典範改定」。 皇室という国民統合の象徴を、政治的な駒として扱っている。国民の8割が女性天皇を望む中、その素真面目な選択肢を排除し、将来の天皇の父親を実質政府が斡旋しうる「元皇族の養子縁組」という奇策を強行しようとしている。自分たちがコントロールしやすい権威にしたいという思惑が透ける。 ​    みっつめは、「エネルギー料金支援」。     使うほど、売るほど税金の恩恵を受け、節約するほど損をする歪んだ設計。税金を企業収益へと還流させる迂回構造であるとともに、政府が価格をコントロールし、「国民に恩恵を与えてやっている」という構図を維持する。根本的な解決を避け、国家への依存度を高めようとする意図は、国民を従属させるための都合の良さがある。 ​    この3つは、一見バラバラに見えて、一つの重大な方向に向かっている。 ...

エネルギー料金支援、その設計は本当に「公平」か

    政府によるエネルギー料金支援は、事務手続きの簡素さを理由に続けられている。 ​    急激な物価上昇が続く現在、あらゆる価格のベースとなるエネルギー料金を抑えることは、物価高騰のドミノ倒しを防ぐ「即効性のある止血策」として一定の評価はできる。     しかし、その効果を認めた上でも、この制度の設計思想そのものに横たわる歪みは見過ごせない。 ​    支援なのか、浪費への奨励なのか。 ​    現在の補助金は「使用量」や「販売量」に連動する。つまり、電気やガスを多く使った世帯ほど恩恵を受け、節約に努めた家庭ほど恩恵が少ない。     石油などのエネルギー調達が不安定な今、本来なら省エネを奨励すべき政府が、真逆のベクトルに働く要因を長期に放置しているのは奇妙と言うほかない。 ​    さらに歪んでいるのが供給側の構造だ。需要側がコスト高に苦しむ一方で、一部のエネルギー企業は過去最高益を記録したことは記憶に新しい。国民の税金が価格抑制の名目で投じられながら、その一部が企業の利益を押し上げたことには、強い懸念がある。 ​    世界に目を向ければ、市場を歪めずに生活者を救う選択肢はいくつもある。 ​超過利益税(ウィンドフォール税): 異常な市況で得た「棚ぼた」の利益を回収し、財源にする。 ​定額の直接給付: 使用量に連動させず一律給付にすれば、節約した世帯ほど相対的な恩恵が大きくなる。 ​カナダ流の「炭素税還付方式」: 上乗せされたコスト分を、そのまま定額で国民の口座に戻す設計。 ​「デカップリング」規制: 電力会社の収益を販売量から切り離し、省エネを促しても事業者が損をしない仕組み。 ​インフラの構造改革: 中長期的には、送電網(系統制約)の解消による再生可能エネルギーの本格活用で、価格そのものを構造的に下げる。 ​    ただし、これら先進的な規制や超過利益税には、極めて「日本的な」弱点が潜む。 ​    たとえ導入が決まったとしても、政策決定プロセスを通過する過程で業界団体の要求が巧妙に反映され、「例外規定」や「特例措置(グリーン投資へのロンダリングなど)」が次々と...

皇室典範改定に見る、自民党の二枚舌

​    今日の国会における与党の「議論の進め方」には、強い憤りを禁じ得ない。 ​    与党は、選択的夫婦別姓は「国民の議論が熟していない」と棚上げにする一方で、国民的な議論が盛り上がっているとは言えない「国旗損壊罪」の早期制定には執念を燃やす。    この時点で「国民の議論」という言葉が都合のいい言い訳に使われていることがわかる。 ​    さらに露骨なのが皇位継承問題についての使い分けだ。「皇族減少への危機感」は共通しているはずなのに、アプローチが完全にねじれている。 ​    民間として生きてきた旧宮家から養子を迎えるための現行法の改定(皇室典範の変更)を「急務だ」と進める。一方で、世論の8割が賛成する「愛子さまの即位(皇室典範における女性天皇容認)」に対しては、「現行法があるからあり得ない」と突っぱねる。「ルールを変えてできるようにする」と「ルールだからできない」を同じ皇室典範の中で、同時並行で語る矛盾。与党の望む結論先にありきなのが明白なダブルスタンダードだ。 ​    歴史を振り返れば、男系の後継者が定まらない緊急事態には、危機を回避する中継ぎとして女性天皇が登場し、皇位を守ってきた。     歴史的実績もあり、国民からの期待も大きい「女性天皇容認」という素真面目な選択肢を排除し、歴史上類を見ない「元皇族からの養子」という奇策に固執する理由はどこにあるのか。     急ぎ対応するなら、女性天皇容認の皇室典範改定が先であるべきなのだ。     奇策を用いるべきかこそ、国民のコンセンサスを得ながら熟議を重ねていくべき事項だ。そうは、思いませんか? ​    正直に言えば、近代民主主義が掲げる「人権」や「人はみな平等」という原則に照らせば、天皇制の世襲には割り切れないものを感じるし、一方で歴史的にセーフティの役割を果たしてきたことを思えば賛成の視点も持つ。     さらに天皇制という制度ではなく「皇室」として見れば、そこにおられる方々の尊い行動に敬意を覚え、情が湧くのは割と自然のことだ。     ​だからこそ、余計に今の与党...

​言論も、私も、「紙くず」にされる日、あるいは新たなる戦前 シリーズ 国旗損壊罪⑤(最終回)

    これまで四回にわたり、国旗損壊罪という一見小さな法案の背後に潜む、法制度の罠や歴史の欺瞞について考えてきた。     ​前回は、宮沢賢治が『注文の多い料理店』に込めた警告(注:筆者の独自解釈による)は百年を経て、私たちが主権者としての権利と言葉を奪われようとしている現実と、奇しくも一致していることを示した。 ​    最終回となる今回は、国旗損壊罪推進派が常套とする「諸外国にも国旗を処罰する法律がある」という論理のペテンを暴くことから始め、この法案が目指すディストピアの「真の設計図」を白日の下に晒したい。 ​    国旗損壊罪推進派は「フランスやドイツ、韓国にも同じような法律がある。だから日本にないのはおかしい」と、表面上の条文だけを並べて主張する。しかし、ここには意図的な歴史の切り捨てがある。その国々の国旗が「どうやって誕生したか」という、血で綴った物語をわざと無視しているのだ。 ​    革命や独立運動という壮絶な手段で民主主義を勝ち取ってきた人々にとって、その旗印(三色旗や太極旗など)は天から降ってきたものではない。自分たちが命を懸けて暴政を打倒し、議会や憲法を築き上げたという「主権の証明」であり、民主主義そのものの象徴なのだ。     だからこそ、それらの国での国旗損壊は、国民自らが築いた民主主義の土台に対するテロ行為やヘイトと見なされ、法で規制されていることが推察される。 ​    翻って、日本の日の丸はどうか。前回までに示した通り、明治政府が中央集権国家を大急ぎで仕立て上げるために、まずは商船の目印として、のちには国民を統治するためのツールとして、トップダウンで配られた「統治の記号」である。市民が血を流して勝ち取った自由の象徴とは、出自も目的も百八十度異なる。 ​    それにもかかわらず、外国にも国旗損壊罪はあると嘯き、「革命の誇り」という看板から、「誇り」の部分だけこっそり借用する。品性下劣な詐術と言うほかない。 ​    では、国旗を巡る真の国家の品格とは何か。それを教えてくれるのが、一九八九年のアメリカ最高裁判所による「テキサス州対ジョンソン判決」だ。 ...

​『注文の多い料理店』と不敬罪、そして今 シリーズ 国旗損壊罪④

    国旗損壊罪について考えているうちに、私は一つの小説を思い出した。宮沢賢治の『注文の多い料理店』だ。 ​    あの物語の客(二人の紳士)は、山奥の西洋料理店に迷い込む。 「髪を整えてください」 「靴の泥を落としてください」 「顔を洗ってください」 「香水を付けてください」     一つひとつの注文はもっともらしい。むしろ親切にさえ見える。しかし最後になって客たちは気づく。料理を注文していたつもりが、自分たちこそ料理される側だったことに。気づいた時にはもう遅い… ​『注文の多い料理店』が出版されたのは一九二四年、ほぼ百年前だ。その翌年の一九二五年に、あの「治安維持法」が制定されている。そして賢治が生きた時代には、当然のように「不敬罪」が存在した。 ​    これは私の独自解釈だが、賢治は、不敬罪や翌年に制定される治安維持法が作り出す社会の空気を肌で感じ取り、それを寓話の形で描いたのではないか。私にはどうしてもそう読めてしまう。 ​    あの時代の日本もまた、国家の統合や秩序の維持という名目のもと、「天皇を敬いなさい」「国家を愛しなさい」「国体を疑ってはならない」という、政府からの注文が溢れる社会だった。その背後にあった目的は、欧米列強と渡り合うための「富国強兵」である。 ​    強い中央集権国家をつくる過程で、ほんの少し前には商船の目印に過ぎなかった日の丸が、天皇とともに「神聖な象徴」へと格上げされ、そこへの異議申し立てを不敬罪や治安維持法で抑え込んでいった。 ​『注文の多い料理店』の注文と同じである。一つひとつには理由がある。問題は、それらが一体どこへ向かっているかだ。     そしてこの物語には、もう一つ決定的に奇妙なディテールがある。紳士たちが連れていた「二匹の猟犬」の存在だ。     犬たちは、物語の序盤で「にわかに泡を吐いて死んで」しまう。紳士たちはそれを悲しむどころか、「二千四百円の損害だ」と損得勘定だけで片付け、平然と見捨てて店の奥へと進んでいく。しかし、自分たちが料理されかける絶体絶命の瞬間、風のように扉を破って現れ、山猫の化け物に噛みついて紳士たちを救い出すのは、死んだはずのあの犬た...

国旗損壊罪の「非親告罪」という罠 シリーズ 国旗損壊罪③

    前回は、国旗損壊罪が私たちの「内心」を監禁する不敬罪の復活だということ、そして、その先に続くことが予想される拡大解釈の恐ろしさについて考えた。 ​    今回は、推進派が必ず持ち出す最大の免罪符、「外国の国旗を破ったら罰せられるのに、日本の国旗を破っても罰せられないのは不平等だ」という論理のペテンを暴きたい。     一見、筋が通っているように思えるこの主張は、実は日本の歪んだ近現代史と、法制度の巧妙な罠を隠蔽する最悪のすり替えだ。 ​    まず、現行の刑法(92条)にある「外国国章損壊罪」がなぜ作られたのか。それは国旗損壊罪が守るとする国民感情のためなどではなく、外交問題を防ぐためという、純粋に実務上の理由からだ。 ​    明治時代に起きた「大津事件」を思い出してほしい。     来日中のロシア皇太子が日本の警察官に切りつけられた際、ロシアの軍事報復を恐れるあまり、明治政府は大審院(いまの最高裁)に「大逆罪を適用して死刑にしろ」と猛烈な政治圧力をかけた。     しかし、大審院長の児島惟謙はこれを拒絶した。法律にない「外国要人の特別扱い」を認めず、法の下の平等を貫いて通常の殺人未遂(謀殺未遂罪)として裁き、司法の独立を守ったのだ。この厳格な姿勢こそが、当時の国民の熱狂的な支持を受け、結果として近代国家としての日本の品格を国際社会に知らしめることになった。 ​    この「大津事件の教訓」に照らせば、いま推進派が叫ぶ「不平等」の解決策は、いたってシンプルだ。外国の国旗損壊罪という特別扱いを、きっぱりと廃止してしまえばいいのだ。     外国の旗であれ自国の旗であれ、破られたら通常の「器物損壊罪」として、布切れ一枚の物理的被害として平等に扱えば済む話だ。 ​    それなのに、推進派の政治家たちは頑なにその選択肢を無視し、どうしても新しく国旗損壊罪を作りたがる。     なぜか。答えは前回指摘した通りだ。彼らの本当の目的は外国旗との平等の達成ではなく、法律を使って国民の「内心」を縛ることにあるからだ。 ​    そもそも、...