続・奈良ティブ選挙

    ナラティブ(narrative)というのは「語り」「物語」を意味し、話し手の視点、感情、体験に基づき紡がれる終わりなき物語のことだ。
    高市話法の「奈良ティブ」も然り。奈良の鹿への加害では、SNSで見た→私自身が目撃。討論番組出席中止では、支持者に強く手を引っ張られた→公認証書を渡す際→官房長官が決めたと、変遷していく。どうしたって、その場しのぎの印象が強くなる。
    また、レアアース採掘 では、レアアース含む可能性のある泥回収のニュースに対して、高市は、日本は、これから今の世代も次の世代もレアアースには困らない。と、自らの期待を事実であるかのように発信している。これを首相からのメッセージとして受け取る側の国民は、完全に事実誤認しちゃうよね。
    奈良ティブの特徴をまとめると、以下の3点に集約される(私調べ)。
① 事実が感情に置き換わる
(鹿の件、目撃談の変遷)
② 期待や願望が政策になる
(レアアース「困らない」発言)
③ 間違いを撤回しない
(存立危機事態・台湾有事)
    その帰結として、「首相の内面が国家の判断基準になる」。
客観性を欠き、事実とも異なる政策が独善的に進められていくのは、日本の国民にとって、不幸な未来を呼び寄せる可能性が高い。
    事実よりも首相の語りが優先されて、後戻りする事の無い政治は、政治制度としての独裁制ではないけれど、実質的には独裁と変わらないと思うんだ。
    安倍晋三元首相は、かつて、「これまでとは違う新しいお約束」と言ってのけるちゃぶ台返しを行なったけど、今後の高市政権下では、これが頻繁に起こることにだろう。
過ちを認め撤回することは無く、都合良く上書きする。謝ったら死ぬ病で国の舵取りをやられると、軍拡・戦争のできる体制づくりにのめり込みな高市だけに、戦争への不安が広がる。
    一見、前向きな奈良ティブは、平時には未来への希望にも見える。
だけど有事には、最も危険な意思決定装置になる。
    今からやって来る、「未来への投資」や「安全保障」のための増税に耐えるのもしんどいだろうけど、さらにその先には、徴兵制度の復活や日本が主体的に戦争に関与する可能性さえ否定できない。
    まさかそんな大げさな、と言いたい人には、太平洋戦争において、国際情勢以上に、国内で醸成された国民的な熱狂が、開戦へと後押しした側面があったことを思い出したり、改めて学んだりして欲しいと思う。
    この記事を通して私が言いたいのは、高市氏の語りそのものではない。
「その奔放な語りに、私たちがどこまで国家の判断を委ねてよいのか。」という一点なんだ。
    奈良ティブに官能し、感情移入や熱狂、推し活の延長で、政治を選び取ることには大きなリスクが伴うと、私は考えている。

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