アメリカのベネズエラ攻撃に見る、思考を奪う文法とアルゴリズム
SNSを眺めていると、ある種の言い回しが、思考を一瞬で止める役割を果たしている場面に、割と頻繁に出会う。
最近目についたのは、アメリカによるベネズエラへの攻撃を正当化するSNS上の記事だった。あえて国際法違反を軽視する一文が加えられているものや、デマ画像を使ったものがある。
例えば、マドゥロ大統領の捕縛を喜ぶベネズエラ国民とされる画像が実はサッカーを応援する人々のものだったり、「国際法なんちゃら…」といった一言で重要な論点を思考の外へ追いやったり。そんな軽率な記事であるにもかかわらず、賛同を示す返信が多数ぶら下がっている。
安易な記事に安易に飛びつく、思考停止を思わせる現象だ。
さらに言えば、SNSを通じた海外からの情報操作が取り沙汰されている昨今、海外発のデマ画像を流用している点では、外国からのSNSを通じた世論工作に乗せられた人々と言うこともできる。あるいはそれらの中に、日本国内でアメリカに有利な世論形成工作の意図を持つ発信が混じっていないと、誰が断言できるだろうか。
外国からのSNSを通じた世論工作というと、多くの人はロシアや中国を警戒する。だが、アメリカ寄りの言説は無意識に信用してしまう心理的な落とし穴がある。
「民主主義の国だから」
「関係の近しい国だから」
その思い込みが、検証を省略させる。
アメリカによるベネズエラ攻撃を正当化する記事に、たちまち多数の同意がぶら下がる現象は、その危うさを象徴している。
そして、重要なのはベネズエラの事例そのものではなくて、「考えを奪う文法」と「拡散を最適化するアルゴリズム」が組み合わさったとき、私たちの思考は容易に誘導されるという事実だ。
■「そんなことより…」が思考を止める
「国際法違反ではないのか」
「議会での承認はあったのか」
こうした問いが出た瞬間に、
「そんなことより…」
「それ、あなたの感想ですよね」
と切り返す言葉が投げられる。
これは反論ではない。論点を消去する文法だ。
以前書いた「論破より合意形成へ、時間をかけて話し合おう」という記事の中でも触れた、ひろゆき氏の
「それ、あなたの感想ですよね」
そして高市氏の
「そんなことより…」
この二つは、使われる場面や文脈も違うが、機能は驚くほど似ている。
どちらも、「その話題は検討に値しない」と宣言し、対話を短絡化させ、合意形成のための入口を閉ざす。
対話と合意形成のための入口を閉ざすという意味では、議会・国会での議論を避ける手法も上げられる。
アメリカのベネズエラ攻撃では、議会の関与が意図的に狭められた。
日本でも、近年は閣議決定によって国会での十分な論議をすっ飛ばす手法が常態化しつつある。
ここには明確な共通点がある。
議会を関与させない手法は、民主主義にとって最も大切な「合意形成」を省く行為だ。
合意形成は時間がかかる。民主主義には時間がかかると置き換えても良い。
それゆえに、時間や手間を掛けたくない側からは、「そんなことより」「今は非常時」などの文法が好まれる。
だが、その省略の積み重ねが、民主主義そのものを空洞化させているのだ。
この種の言葉が厄介なのは、使う側にも、情報を受け取る側にも快感があることだ。
難しいことを考えなくていい。さらには、自分は議論を封じ込めた「勝者の側」だと、一段上に立った気分になれる。情報を受け取る側にとっては、議論を封じ込めた方の尻馬に乗っかった場合ということになるが。
そしてSNSのアルゴリズムは、その快感を最大化する投稿を優先的に拡散する。
繰り返し目にし、快感に痺れるうちに、人はこう錯覚する。
「これは、自分で考えて辿り着いた結論だ」と。実際には、思考の経路そのものが、文法とアルゴリズムによって侵食されているにもかかわらず。
私の交友範囲にも、SNSからの影響を受け、時折テーマを入れ替えながらも、個々のテーマへの没入・傾倒を繰り返す人がおり、心痛と共にアルゴリズムの強烈さを感じずにいられない。
■発信者もまた、取り込まれていく
さらに問題なのは、発信する政治家や言論人自身も、この構造に飲み込まれていく点だ。
バズる言葉、強い言葉、敵を作る言葉。それらは短期的には支持と注目をもたらす。だがやがて、
「バズってなんぼ」
「バズらない言い方では不安になる」
「煽らないと存在感が保てない」
という状態に陥る。ミイラを取りがミイラになる。
高市氏に見られるSNSバズリ中毒的な振る舞いは、その典型例だろう。
SNSなどで、自分と似た意見や価値観を持つ人々が集まる閉鎖的な空間で、同じような意見が繰り返されるうちに、それが「世の中の真実」あるいは「最も大切な事」だと信じ込んでしまう現象をエコーチャンバーというが、一国の首相がエコーチャンバーの住人では困る。まさに裸の王様が政権を握るわけだから。
■思考を奪われないために
必要なのは、特別な知識ではない。
ひとつの情報で判断しない。
面倒でも、複数の視点に触れる。
「そんなことより」と言われた瞬間に立ち止まる。こちらの思考を奪うためのマジックワードに気づくこと自体が、最大の防御になる。
「論破より合意形成へ」
「速さより、考える時間を」
マジックワードやアルゴリズムに委ねきらない判断力を、意識的に取り戻すことが、今ほど必要な時代はないのだと思う。