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トランプはペリーの再来か、奇妙な一致と日本の取るべき道

    今朝のラジオで、高橋洋一氏が「日本はトランプへの対応が遅れ、怒らせた。悪手だった」との趣旨で政府の対応を批判していた。確かに短期のビジネスならそう見える。だが歴史を振り返ると単純にそうとは言えない。     幕末、ペリーが黒船を率いて現れた時、日本は軍事で抗し得ず、1858年に日米修好通商条約を結んだ。これが安政の条約で、関税自主権を奪われ輸入品に好きに税をかけられず、領事裁判権(治外法権)まで認めさせられた。これを完全に回復するまで半世紀、小村寿太郎ら多くの先達の苦闘を思えば、今、軽々しく新たな「不平等」に踏み込む愚だけは避けなければならない。    ただ、当時の幕府は単なる弱腰ではなかった。老中首座の阿部正弘は自ら退き、堀田正睦を据えることで、攘夷派を含めた幕閣の調整を試みた。水戸斉昭を幕政に取り込み、危険な人物と知りつつも意見を吸い上げた。井伊直弼は開国を決断し、反発を抑えるために安政の大獄という強硬策を選び、暗殺される危険も承知で責任を引き受けた。幕府は時間を稼ぐだけでなく、ぎりぎりまで人事と知恵を尽くして国内をまとめ、なんとか国を保とうとした。また、幕府は、条約を結んだ後もひそかに関税率を改定する交渉を模索し、外国商館の貿易活動を制限するために許可制を厳格化するなど、できる限りの統制を試みた。一見もたもたは、裏を返せば粘り強さでもあったのだ。     今の日本はどうか。日米地位協定は、かつての領事裁判権の現代版だ。米軍は日本国内にありながら、日本の法律が及びにくい。そこにトランプはさらに駐留経費負担を迫った。一見金の話だが、負担を増やすほど米軍の「地位」は強固になり、主権が及ばぬ範囲は事実上拡大する。     トランプは「ペリーの再来」か? と考えると、奇妙なほど現代と重なる構図が見えてくる。     ドナルド・トランプは、日本に書簡を送りつけて関税問題を厳しく突きつけ、日本の交渉相手とは合わない事で、自分との会談を一種の特権に変えた。     それはまるで、ペリーが大統領親書を突きつけ、日本側に「黒船の威」を見せつけながら、なかなか会おうとせずに揺さぶった手法の再現だ。    トランプ自身は...

バカげたディールには、バカげたカウンター策を

   トランプ米国大統領は、防衛費の大幅増額、アメリカでの自動車生産並びにアメリカ車の輸入など、日本に対して、強気の要求を突きつけてきている。     米国トランプ大統領は、日本をタフネゴシエーターとは考えていない。それどころか、強引な要求を突きつける姿勢を貫けば、日本は丸呑みにすると思っているのだろう。     関税交渉のために日本から大臣が6回も渡米したというのに、交渉が前進するどころか、更なる関税の引き揚げを示唆してくるなど、日本は完全に舐められている。  「結局、日本はトランプの言いなり」。そんな冷笑が日本国内にさえ漂うのも無理はない。     それならばいっそこの際、トランプ氏の要求を丸呑みにしてしまってはどうだろうか。ただし、日本のお家芸の柔道を応用しつつ。     相手が押してくる力を巧みに利用して、逆に相手を投げ飛ばしてしまうのだ。     まずは防衛費だ。トランプ氏は、非公式に日本の防衛費を3.5%に積み増すように要求していると言われる。それに乗ってやろうじゃないの。    だが、トランプ氏の望む米国製兵器の爆買いはしない。防衛費の増額分は徹底的に日本の国益に回す。    まずは、防衛費で全国の空港・港湾施設の整備を進める。実際のところ、政府は有事の際に自衛隊が利用することを条件に、国費を投入し、空港・港湾の設備を全国に進めていく計画だ。これを前倒しでどんどん進め、実際には交通・観光・防災の拠点として機能するようにすれば良い。自衛隊の利用はむしろおまけだ。     政府は、核シェルターの建設も少しずつ前に進めようとしているが、これも防衛費で進めることになんら問題はない。もちろん自然災害が起きた際には避難所として使う。目的としては、こちらがメインだ。     領海の守りを強化するために防衛費を使って艦艇を多数建造しよう。自衛艦ではない、Japan Coast Guard つまり海上保安庁の巡視船だ。これで、中国海警に対して数の上で劣勢な尖閣の警備を強化する。イージス艦など作ろうものなら、アメリカから高額なイージス・システムを購入しなくてはならない...

黙示録のラッパを、吹かせてはならない

     −第一のラッパが鳴った−     アメリカによるイラン核施設への空爆に、黙示録の1節が、不意に頭をよぎった。     七人の天使が手にしたラッパ(Trumpet)が鳴り響く度に、地上に深刻な災厄がもたらされるという、あの黙示録だ。ヨハネの黙示録とも呼ばれる。     しかし、ラッパを吹いたのは、天使ならぬイスラエル首相ネタニヤフ。彼が吹き鳴らしたTrumpet とは、アメリカ大統領トランプ(Trump)その人だ。     黙示録によると、第一のラッパで、雹と火が地に降り、地の三分の一が焼かれる。    イランの核施設への先制攻撃。それは、地上の一点への爆撃に留まるものではない。   「先に攻撃するのが正義」「未然に破壊すれば平和」という論理が、これをもって正当とされるなら、世界中の火薬庫に火が回るのは時間の問題だ。 黙示録にあるように、地の三分の一が焼かれる。それが未来図になりつつある。     また、今回の核施設への空爆では、辛うじて核汚染による災厄は免れたが、一度、核施設への攻撃を常套の手段として認めてしまえば、戦争の度に繰り返される危険が生じる。    黙示録の第二のラッパでは、燃える山が海に投げ込まれるとあるが、これはまるで、核施設や原子炉が破壊され、汚染が海へ広がる様子を描写しているかのようだ。     私達はこの先、第二のラッパを吹こうとする者が現れぬよう、今回のイスラエルとアメリカによる核施設への攻撃を最大級の声で非難するとともに、予防策を講じなくてはならない。     断っておくが、この先にラッパを吹き鳴らす者が続いたとしても、最後の第の七のラッパによりもたらされるという神の国は来ない。    なぜなら、今、起こっていることは神の計画などではなく、飽くまでも人による愚行だからである。     例え、天の使いの如く振る舞い吹き鳴らそうとも、鳴り響いているのは、人による災厄のファンファーレなのだ。

ガザに生きるアンネ・フランクたち

    6月12日は「アンネの日」。アンネ・フランクが13歳の誕生日に日記帳を受け取った日だ。     ナチスの迫害から逃れ、屋根裏部屋に潜んで暮らしたユダヤ人の少女。     彼女が綴った言葉は、世界中の人々にいまなお問いを投げかけ続けている。     彼女の生きた時代から数十年経った今、同じこの地球の上で、ガザでは空爆と飢餓の中に子どもたちが生きている。     崩れた家の下から家族の遺体を探し、配給所の列に並び、避難先も行き場もないまま、「明日がある」という感覚を失いながら。       その過酷な日常を生み出しているのは、パレスチナの人々を一方的に敵視し、力によって支配しようとする論理だ。イスラエルのネタニヤフ政権が進めているのは、武力により人々を追い詰め、居場所を奪い、生命すら脅かす政策であり、そうした暴力の連鎖が日々形を成している。     かつてユダヤ人を襲った惨劇を、人類は深く悔い、二度と繰り返さぬよう誓ったはずではなかったか。過去の民族浄化を生き延びた人々の末裔が、今度は加害の側に立ってもよいと、ネタニヤフ政権とその支持者たちは考えているのだろうか。そうであっては欲しくないし、そうあってはならない。    また、この状況に異を唱え、 戦争を止めようと声を上げる、あるいは 占領政策に反対する イスラエル市民、そして世界中のユダヤ人が 存在する。国内外からネタニヤフ政権に働きかける声がある。     アンネ・フランクの日記は、彼女が逮捕されたその日を最後に、突然終わっている。     この「日記が途切れた」ことの重さを、私たちは忘れてはならない。 彼女の人生が、言葉を綴ることすら許されないまま、断ち切られたということを。     だから、 ガザの子どもたちの日記は、途中で終わってはならない。悲しみでなく 、小さな笑いや夢が綴られるページが必要だ。   「学校に戻った日」「友だちとケンカした日」「将来の夢を語った日」、 そんな平和な日々にたどり着くまで、どうか日記は続いて欲しい。     アンネの日記...

少子化は本当に“悪”なのか?まず自分自身に問いかける

    出生数が70万人を割り込んだ。    「重く受け止める」「粘り強く取り組む」と繰り返すのみの政府には不信感を募らさざるを得ないが、少子化は本当に悪なのか? まずは、自分自身に問いかけるところから始めてみたい。     理性で考えれば、少子化=国家の破綻という単純な図式は成立しない。AIや外国人労働者の導入によって、労働力不足や税収減に対応する道もある。    むしろ「国民数を維持すること」が善であるという考えは、国家主義的な価値観に根ざしたものだ。     子どもを持つことを望まない人にまで「産め」と迫る社会のほうが、よほど不健全ではないだろうか。    だが一方で、感情のレベルでは、私は少子化をやはり「寂しい」「このままでいいとは思えない」と感じる。自分が日本という文化圏に属しているという感覚が、将来ぼやけていくのではないか、気がついたら隣人はAIと外国人ばかりかもという不安。それは理屈では説明しきれないが、確かに私の中にある。     私は日本史ファンだが、未来にタイムリープしたとして、日本史の本を読んでみたら、22世紀を境に、日本史を彩る人々が、みな外国人になっていたとしたら、やはり寂しく感じる。     問題は、この「もやっとした不安」につけ込むような形で、政治が、少子化対策を口実に税金の流し口を作り出している点だ。とりわけ、こども家庭庁の存在は象徴的だ。理念より予算ありき。保育所整備や手当制度は一見まっとうでも、その裏には政治家、官僚、業者が結びつく利権構造が温存されている。誤解を恐れずに言うなら、少子化対策利権という税金中抜きの蛇口と化している。     本気で少子化に向き合うなら、まず「子どもを育てることが幸せだと思える社会」に近づく努力が要る。ところが実際には、専業主婦を事実上、制度的に許さないような社会保障設計、労働市場の形成など、逆方向の政策が多い。     もはや少子化そのものより、それを口実にした利権の構築こそが悪なのではないか。     少子化が悪かどうか、これは人によって立場も感じ方も違うだろう。   ...

大河原化工機冤罪事件に見る警察のやり口は、地回りのヤクザ同然

   大河原化工機冤罪事件における警察のやり口は、とことん酷い。     無理筋な逮捕と、がん患者を死に至らしめた人質司法も許しがたいが、今度は、警察OBのいない企業を狙い撃ちした事実が持ち上がった。     いわゆる天下りといえば、官僚OBが政府とのパイプ役となり、仕事を受注する見返りとして企業に迎え入れられるという、不透明かつ不健全な構造だ。     もちろんそれ自体も看過できない問題だが、大河原化工機冤罪事件て露わとなったのは、 警察OBの場合、「パイプ役」というより、「天下りを受け入れなければ狙い撃ちにされる」という、もはや脅しに等しい状況だ。     大河原化工機冤罪事件を報じた毎日新聞の記事によれば、捜査を指揮する立場の人物が「警察OBのいない会社を重点的に調べろ」といった趣旨の指示を出していたという。これはもはや、法の執行機関としての倫理を踏みにじる所業ではないか。     天下りを受け入れれば見逃され、受け入れなければ容疑をでっち上げられる。     まるで、みかじめ料を払えば守ってやると近づき、払わなければ自らが因縁をつけて商売が出来ないように邪魔をする、今どきは姿を潜めた、地回りのヤクザのようだ。     警察とは、市民の安全と権利を守るために存在するはずではなかったのか。   ここにみられる警察官の活動は、腐敗した組織そのものだ。異常な現実が、国民の目には分かりにくいところで静かに進行している。警察官僚の天下りを含め、警察の活動には厳しい監視の目が必要で、警察を監察する公的機関やオンブズマン組織が必要だ。

米価高騰の裏に静かな戦争──JAとアメリカの攻防

   コメの価格高騰は消費者にとって大きな問題だ。前回の記事では、「流通の目詰まり」について農水省とJAの関係という視点から問題を追ってみた。     しかしこの「流通の目詰まり」とは、そもそも 穏当な官僚用語ではないのだろうか。この言葉には、「名指しにはできないけれど、コメを大量に買い占めている転売ヤーが存在している」ことを婉曲に示唆している可能性はないか。     仮にそうだとすれば、さらに次の問いが浮かぶ。その転売ヤーの裏には、何らかの勢力がついており、それはコメの価格高騰の問題にとどまらない、 政治的な力学が隠れているのではないか。     日本の農業団体、とりわけJA全農は、戦後一貫して強大な政治的影響力を持ってきた。だが近年、財務省・経産省・外務省、そして一部の自民党改革派議員らによって、JA全農の解体や影響力縮小を狙う動きが強まっている。背景にはアメリカの意向が見え隠れする。     アメリカ政府はJAの金融部門を非関税障壁とみなし、以前からその改革を強く求めてきた。アメリカは、JAが抱え込む、日本の農業市場全体、金融・農産物・肥料・農業資材により深く食い込みたいと考えている。     農産物の市場開放を求める声と、ミニマムアクセス米(MA米)の輸入義務をめぐる圧力は、日米間の緊張を象徴してきた。     このJAに対する圧力は、かつての郵政民営化とよく似ている。日本国内の既得権益を「改革」という名で解体させ、米国系企業にとって魅力的な市場を開放するという構図だ。農協改革という看板の裏で、肥料や農機、種子や農薬といった分野に強みを持つアメリカ企業、たとえばモンサント(現・バイエル)やジョン・ディアといった巨大企業の影がちらつく。     農水省は、そうした圧力に対してJAの立場を守ろうとしたのか、備蓄米の放出において全農に優位な条件を設定した可能性がある。だが、入札直後に農水大臣が「随意契約は違法の可能性がある」と発言したかと思えば、大臣交代後、方針は一転。財務省が特例として認め、全農を外す方向へ一気に進んだ。この即断的な転換は、事前にシナリオが描かれていた可能性を否定できない。   ...