国旗損壊罪の「非親告罪」という罠 シリーズ 国旗損壊罪③
前回は、国旗損壊罪が私たちの「内心」を監禁する不敬罪の復活だということ、そして、その先に続くことが予想される拡大解釈の恐ろしさについて考えた。
今回は、推進派が必ず持ち出す最大の免罪符、「外国の国旗を破ったら罰せられるのに、日本の国旗を破っても罰せられないのは不平等だ」という論理のペテンを暴きたい。
一見、筋が通っているように思えるこの主張は、実は日本の歪んだ近現代史と、法制度の巧妙な罠を隠蔽する最悪のすり替えだ。
まず、現行の刑法(92条)にある「外国国章損壊罪」がなぜ作られたのか。それは国旗損壊罪が守るとする国民感情のためなどではなく、外交問題を防ぐためという、純粋に実務上の理由からだ。
明治時代に起きた「大津事件」を思い出してほしい。
来日中のロシア皇太子が日本の警察官に切りつけられた際、ロシアの軍事報復を恐れるあまり、明治政府は大審院(いまの最高裁)に「大逆罪を適用して死刑にしろ」と猛烈な政治圧力をかけた。
しかし、大審院長の児島惟謙はこれを拒絶した。法律にない「外国要人の特別扱い」を認めず、法の下の平等を貫いて通常の殺人未遂(謀殺未遂罪)として裁き、司法の独立を守ったのだ。この厳格な姿勢こそが、当時の国民の熱狂的な支持を受け、結果として近代国家としての日本の品格を国際社会に知らしめることになった。
この「大津事件の教訓」に照らせば、いま推進派が叫ぶ「不平等」の解決策は、いたってシンプルだ。外国の国旗損壊罪という特別扱いを、きっぱりと廃止してしまえばいいのだ。
外国の旗であれ自国の旗であれ、破られたら通常の「器物損壊罪」として、布切れ一枚の物理的被害として平等に扱えば済む話だ。
それなのに、推進派の政治家たちは頑なにその選択肢を無視し、どうしても新しく国旗損壊罪を作りたがる。
なぜか。答えは前回指摘した通りだ。彼らの本当の目的は外国旗との平等の達成ではなく、法律を使って国民の「内心」を縛ることにあるからだ。
そもそも、この国が本当に「外国との不平等」を問題にしているかといえば、お笑い草だ。
日米地位協定を見れば一目瞭然。米軍機が日本の空をわがもの顔で飛び回り、事件・事故を起こしても日本の警察がまともに捜査すらできない。そんな戦後ずっと続く主権の不均衡には知らん顔を決め込んでいる政治家たちが、なぜか国旗の議論のときだけ「外国国旗の扱いと不平等だ」と大騒ぎする。この欺瞞ぶり、さすがにおかしいと気づくはずだ。
彼らが本当に求めているのは「対等な主権」などではない。国民統治のツールとしての「非親告罪の国旗損壊罪」を新設すること。これこそが本当の狙いなのだ。
現行の外国国章損壊罪は「親告罪」だ。つまり、被害を受けた外国政府が「処罰してください」と正式に告訴しなければ、警察は動けないし裁判にもかけられない。
ところが、提案されている自国の国旗損壊罪は「非親告罪」だ。ここが、国旗損壊罪の法案を作った者たちには重要なのだ。
理由は簡単だ。親告罪である場合、「被害者」とは一体誰なのか、という問題にぶち当たるからだ。
もし親告罪にすれば、日の丸が傷つけられたとき、告訴できるのは「日本国政府」や「内閣総理大臣」ということになるかもしれない。そうなれば、時の総理や政府がわざわざ一般市民を指差して「あのデモ隊を処罰しろ」と自ら告訴状を出さなければならなくなる。これは民主主義国家の政府として、あまりに世間の見栄えが悪いし、あからさまな言論弾圧として国民の猛反発を食らうだろう。権力者にとっては、リスクが高い。
あるいは、全ての国民が告訴する権利を持つ制度設計もあり得たはずだが、その可能性すら検討された形跡がない。
非親告罪、すなわち「被害者の告訴がいらない」ということは、警察や検察といった取り締まり機関が、自分たちのさじ加減で「いま日の丸をバカにしたな」「あの表現は国旗への侮辱だ」と勝手に判断し、いつでも、誰の合意もなしに、現行犯で逮捕できるようになることを意味する。時の権力者は自分の手を一切汚すことなく、警察を使い、気に入らない人間を合法的に排除できるようになるわけだ。
外国国旗との扱いの平等という一見受け入れやすい言葉を使ったところで、国民を縛るという真の目的は、隠しようもなく滲み出ている。
私たちは国旗損壊罪に対して、もっと鋭い批判の目を向けるべきだ。
次回は、「注文の多い料理店」の扉を開ける。