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日本を蝕み続ける「破綻へのアルゴリズム」

    少し前に、『正義と伝統にすり潰される、反論権なき10代のリアル』という記事で、今日盛んに取り上げられている皇室典範を巡る問題について、主に人権上の視点から私なりの考えを述べた。     今回は、別の視点から皇室典範改定(あえて「改正」ではなく「改定」と表記する)の問題点に触れるところから語り出そう。 ​ 永続より破綻を選ぶ奇妙な習性 ​    仮に、現行のルール通り「男系男子」だけで皇位を継承していくとしよう。     旧宮家からの養子縁組というウルトラCを採用すれば世継ぎは安泰かといえば、数理シミュレーションの観点からは、全く楽観できない。 ​専門家によって前提条件は異なるものの、いずれも「数世代から十数世代のうちに継承者が途絶える確率が極めて高い」という結論では一致している。 ​    ある試算では、1組の夫婦から出発して子どもが1人ずつという厳しい条件下で、8代続く確率はわずか256分の1、16代続く確率に至っては6万5536分の1にまで落ち込む。前提を多少緩めたとしても、傾向そのものは変わらない。 ​    過去の歴史に8人10代存在した「女性天皇(男系女子)」を認めれば、命脈を保つ確率はいくらか上がるだろう。さらに「女系・双系」まで視野に入れることで、理論上はほぼ永久にシステムを安定させることも可能だ。しかし、それが皇室典範に反映される気配はない。 ​    皇室典範に限らず、システムの永続性を保つことや客観的なデータよりも、自分たちのイデオロギーやフィクション、メンツにこだわり、結果として「永続よりも破綻」を選んでしまうことが日本では起こりがちだ。 ​「伝統や文化を重んじる日本人が、永続よりも破綻を選ぶはずがない」と反論する人もいるかもしれない。 だが、本当にそうだろうか? ​    歴史や現状を見渡せば、私たち日本人は高い確率で「持続可能な選択肢を捨て、破綻の道を選ぶ」という、思考のバグとでもいうような誤りを繰り返している。 ​ 科学的なデータを無視し、破綻へ向かう制度 ​    例えば、「姓(夫婦同姓)」に関する制度だ。 ​    歴史を振り返れば...

高市サン、小学生の夏休みの宿題じゃないんだから

    学校は夏休みなんだね。連日の猛暑の中の通学が無いのは何よりだ。 夏休みと言えば、宿題を思い出す。      私は、夏休みの終わりのぎりぎりになってから、親にやいのやいの言われてやっと取り掛かる派だった。今でも、そんな小学生が少なからずいるのではないだろうか。     子どもならぬ、大人にそんな人を近頃目にした。他ならぬ高市首相だ。 ​    中傷動画問題で、国会での答弁に替えて陳述書を提出させてくれと言っていた高市首相。近日中という話だったか、実際に提出したのは7月22日、国会の会期末ぎりぎりだ。     もっとも、件のぎりぎりまでやっていなかったのではなく、国会の会期末ぎりぎりまで待って、国会での追及を最小限にしようと目論んだのだろう。やいのやいの言われても知らんぷりの厚顔無恥だった。詳細は未だ国民には公開されていないが、大雑把に言えば知らぬ存ぜぬだ。     今国会で、高市首相が出席しての集中討議はあと1回。この件での野党からの質問を躱す準備に怠りはないだろうが、国民の目にはどう映るだろうか? ​    やはり知らぬ存ぜぬで押し通すと思うが、週刊文春の記事との相違点は少なくない。個人的には、サナエトークンの登録住所と高市事務所の住所が同じであるのをどう説明して納得を得るつもりなのか興味を持っている。     これまでの高市首相の態度から類推すると、週刊文春やその証言者と対決し白黒着ける気はなく、ほとぼりが冷め、国民の関心が薄れるまで逃げまくるつもりなのだろうが、支持率急落の中、高市首相はこれ以上のイメージダウンを避けられるだろうか。まさか、久々の国会への出席を、夏休み中の登校日くらいに思ってやしないだろうね? ​    夏休みの宿題と言えば、もう1つ。高市首相が自身のSNSで、近日の自身の活動を報告しているが、目立つところを「」で囲んで抜粋すると、 「7月に入ってからの土日は」「分厚い資料を早朝から深夜まで読み続け」「2週目は与党審査で加筆修正された部分を熟読検討」「半端ない情熱を注いでいました。」「書類の山と格闘して過ごしていました。」「メール処理で今日(月)の明け方...

正義と伝統にすり潰される、反論権なき10代のリアル

    いま、皇室典範を巡る議論がネットやメディアでこれまでにない熱を帯びている。     昭和の時代にあった「天皇制そのものの是非」というイデオロギー対立は影を潜め、令和の今は「天皇制があることを大前提とした、その内実やルール」を巡る激しいぶつかり合いが主流だ。 ​    一見すると、皇室への関心や敬愛が高まっているようにも見える。しかし、その内実をジャーナリスティックに覗き込んでみれば、そこに広がっているのは、自分の見たい虚像を相手に押し付け合う、きわめて醜悪なポピュリズムと、無自覚な加害の構造だ。 ​    あえて憎まれ口をきくなら、私たちは「正義」や「伝統」というお題目を唱えながら、反論が許されない一人の若者の人権を、平気ですり潰している。 ​​ ​「愛子様推し」という名の、無邪気なイジメ ​    ネットやSNSで最大勢力を誇るように見えるのが、「愛子様推し(直系長子・女性天皇容認)」の層だ。彼らのロジックは一見、極めて現代的で正しい。 「ジェンダー平等の時代に、女性だから排除されるのはおかしい」「天皇ご一家の歩みを見ていれば、直系長子が継ぐのが自然だ」という意見は、もっともらしく聞こえる。 ​    しかし、この心地よい正義を裏返せば、現行ルールに従って次代を担うべき、悠仁親王の存在を否定するという残酷な側面が見えてくる。 ​    SNSを開けば、まだ未成年である一人の青年の学業、進学先、お人柄、あるいは日常の些細な一挙手一投足にいたるまで、重箱の隅をつつくようなバッシングや冷笑が溢れている。「愛子さまが継げないのはかわいそう」と語る同じ口で、公的な反論権を一切持たない若者の境遇には配慮しない。それどころか「理想のヒロインの物語を阻む悪役(ヒール)」として扱い、その人格までを叩いている。     大衆ポピュリズムに呑まれ、無自覚のうちに加害者になっている面のあることは否めない。と、私は思う。 ​ 「2600年史実派」という名の、冷酷なハラスメント ​    一方で、男系維持を叫ぶ保守派(2600年男系史実派)の姿勢もまた、別ベクトルの冷酷な加害に満ちている。彼らは一見、悠仁親王...

物価対策最優先の嘘と弱者搾取システム

大企業の「満額回答」の裏で、お預けを食らう人々 ​    ここのところメディアでは、「大企業の過去最高益」「春闘での満額回答」と、まるで日本経済が復活したかのようなニュースが連日報じられている。少し前まで「物価高を上回る賃金を」と言い続けてきた政府や財界からすれば、状況は好転していると言いたいのだろう。 ​    しかしその景気浮揚ムードの陰で、最低賃金の引き上げ目標がひっそりと先送りされた事実は、あまり報じられていない。 ​    前政権が掲げていた「2020年代に全国平均1500円」という目標を、現政権は「2030年代前半へ」とあっさり先送りした。日本の最低賃金は、現状でも先進国中で最低の部類にある。それをおよそ5年も後ろ倒しにするというのだ。 ​    政府は「中小企業の経営環境に配慮した」と言い訳する。賃金アップの負担に耐えられない中小企業を守るため、というのがその大義名分。       だが、これは実体経済の病巣から目を背けた明白な失政だ。     私たちが直視すべきは、今の経済構造が、立場の弱い非正規労働者と中小企業を犠牲にして、大企業の見せかけの繁栄を演出している、歪んだ「搾取の構造」そのものだからだ。 ​ 便乗値上げの大企業と、価格転嫁させてもらえない下請け ​    なぜ、大企業はこれほど過去最高益を叩き出し、華々しい賃上げができるのか。その原資の正体は、圧倒的な優越的地位の乱用にある。 ​    多くの大企業は、原材料費やエネルギーコストの上昇を理由に、自社製品やサービスを次々と値上げした。     消費者が度重なる値上げニュースに感覚を麻痺させていく中で、企業側にとっては躊躇のない価格改定がしやすい環境が整った。コスト増加分以上に利幅を乗せた「便乗値上げ」を行ったからこその過去最高益であることは、想像に難くない。 ​    問題は、その果実が川下に全く流れてこないことだ。     大企業は、製品の製造やサービスを実質的に支えている下請け・孫請けの中小企業に対しては、コスト上昇分の「価格転嫁」を頑なに拒絶し、買い...

国旗損壊罪に「牙」を持たせる異様

●今国会で成立した、SNS規制法には「罰則なし」     本日7月13日、選挙期間中のSNSにおける偽情報対策を強化する改正法「SNS規制法」が参院本会議で可決、成立した。生成AIによる偽動画への表示義務や、プラットフォーム事業者への対策義務化を柱としているが、ここで注目すべきは「罰則なし」という点だ。 「選挙の公正を害してはならない」と謳いながら、違反しても事業者への行政的な指針にとどまり、実質的な強制力はない。     この構図には既視感がある。2016年施行の「ヘイトスピーチ解消法」だ。「差別的言動は許されない」と宣言しながら罰則は一切なく、結果として今なおネット上や街頭でのヘイトスピーチは根絶していない。     この二つの法律に共通するのは、すでに多くの被害者を生んでいる「実害」があるという事実だ。誹謗中傷やヘイトスピーチを苦に命を絶った人、心を病んだ人は少なくない。     今年1月の衆議院選挙でも、選挙期間中の誹謗中傷・偽情報動画が当落に影響を与えたと見られる。     民主主義を揺るがし、個人の尊厳を傷つけるという、法律を作るべき明白な根拠(立法事実)が山ほどあるにもかかわらず、市民の安全や民主主義のシステムに関わる法律には、表現の自由への配慮を隠れ蓑にして、罰則が避けられてきた。 ●国旗損壊罪だけが「牙」を持つ この二つの法律と比べてみると、今国会で成立しそうな「国旗損壊罪」の扱いは際立って異質だ。日本の国旗を傷つけたり汚したりした場合に「2年以下の懲役または20万円以下の罰金」を科すというもので、しかも被害者の告訴がなくても警察が独自に捜査・起訴できる非親告罪にする方針だという。     冷静に考えてみよう。日本国内で、日の丸を破り捨てるような実害がどれほど発生しているだろうか。仮に発生していたとしても、器物損壊罪で対応可能だ。     つまり、新法が迫られるほどの立法事実が見当たらない。そもそも「国旗を大切にしよう」という理念を掲げる法律に、懲役刑という重い罰則はそぐわないはずだ。     三つの法律を並べると、その異常性が浮き彫りになる。 SNSの偽情報対策: 甚大な実害(立法事実あり)...

国会の泥仕合を単なる政局と見るべきでない「政権の狙い」​

   物価高、円安。生活実感として最も苦しいこの時期に、国会は皇室典範改定と副首都構想、議員定数削減をめぐって泥仕合を演じている。「今そんなことをやっている場合か」というもどかしさは、多くの国民が共有する率直な感覚だろう。 ​    私の目にも最初は、「自分らのやりたいこと最優先のわがまま与党」と「なりふり構わないみっともない野党」の不毛な争いと映っていた。      しかし、高市政権になってからの動きを俯瞰すると、目の前の泥仕合に目を奪われていては、もっと大きな「社会の基本設計(OS)そのものを書き換えようとする動き」を見落とすと気づいた。 ​    その不穏な動きは、領域の異なる3つの政策として、同時に姿を現している。 ​     それを、中央集権化へ向かう3つの足枷と呼びたい。     ひとつめは、内心の自由に踏み込む「国旗損壊罪」。     非親告罪という設計は、被害者の訴えなしに国家が動ける仕組みであり、思想に対する刑罰の最初の一手となるものだ。国旗という象徴への不敬から、総理批判、やがて政策批判までも萎縮させる狙いがあるだろうことは、不敬罪や治安維持法のあった時代を振り返れば明白だ。 ​    ふたつめは、「皇室典範改定」。 皇室という国民統合の象徴を、政治的な駒として扱っている。国民の8割が女性天皇を望む中、その素真面目な選択肢を排除し、将来の天皇の父親を実質政府が斡旋しうる「元皇族の養子縁組」という奇策を強行しようとしている。自分たちがコントロールしやすい権威にしたいという思惑が透ける。 ​    みっつめは、「エネルギー料金支援」。     使うほど、売るほど税金の恩恵を受け、節約するほど損をする歪んだ設計。税金を企業収益へと還流させる迂回構造であるとともに、政府が価格をコントロールし、「国民に恩恵を与えてやっている」という構図を維持する。根本的な解決を避け、国家への依存度を高めようとする意図は、国民を従属させるための都合の良さがある。 ​    この3つは、一見バラバラに見えて、一つの重大な方向に向かっている。 ...

エネルギー料金支援、その設計は本当に「公平」か

    政府によるエネルギー料金支援は、事務手続きの簡素さを理由に続けられている。 ​    急激な物価上昇が続く現在、あらゆる価格のベースとなるエネルギー料金を抑えることは、物価高騰のドミノ倒しを防ぐ「即効性のある止血策」として一定の評価はできる。     しかし、その効果を認めた上でも、この制度の設計思想そのものに横たわる歪みは見過ごせない。 ​    支援なのか、浪費への奨励なのか。 ​    現在の補助金は「使用量」や「販売量」に連動する。つまり、電気やガスを多く使った世帯ほど恩恵を受け、節約に努めた家庭ほど恩恵が少ない。     石油などのエネルギー調達が不安定な今、本来なら省エネを奨励すべき政府が、真逆のベクトルに働く要因を長期に放置しているのは奇妙と言うほかない。 ​    さらに歪んでいるのが供給側の構造だ。需要側がコスト高に苦しむ一方で、一部のエネルギー企業は過去最高益を記録したことは記憶に新しい。国民の税金が価格抑制の名目で投じられながら、その一部が企業の利益を押し上げたことには、強い懸念がある。 ​    世界に目を向ければ、市場を歪めずに生活者を救う選択肢はいくつもある。 ​超過利益税(ウィンドフォール税): 異常な市況で得た「棚ぼた」の利益を回収し、財源にする。 ​定額の直接給付: 使用量に連動させず一律給付にすれば、節約した世帯ほど相対的な恩恵が大きくなる。 ​カナダ流の「炭素税還付方式」: 上乗せされたコスト分を、そのまま定額で国民の口座に戻す設計。 ​「デカップリング」規制: 電力会社の収益を販売量から切り離し、省エネを促しても事業者が損をしない仕組み。 ​インフラの構造改革: 中長期的には、送電網(系統制約)の解消による再生可能エネルギーの本格活用で、価格そのものを構造的に下げる。 ​    ただし、これら先進的な規制や超過利益税には、極めて「日本的な」弱点が潜む。 ​    たとえ導入が決まったとしても、政策決定プロセスを通過する過程で業界団体の要求が巧妙に反映され、「例外規定」や「特例措置(グリーン投資へのロンダリングなど)」が次々と...

皇室典範改定に見る、自民党の二枚舌

​    今日の国会における与党の「議論の進め方」には、強い憤りを禁じ得ない。 ​    与党は、選択的夫婦別姓は「国民の議論が熟していない」と棚上げにする一方で、国民的な議論が盛り上がっているとは言えない「国旗損壊罪」の早期制定には執念を燃やす。    この時点で「国民の議論」という言葉が都合のいい言い訳に使われていることがわかる。 ​    さらに露骨なのが皇位継承問題についての使い分けだ。「皇族減少への危機感」は共通しているはずなのに、アプローチが完全にねじれている。 ​    民間として生きてきた旧宮家から養子を迎えるための現行法の改定(皇室典範の変更)を「急務だ」と進める。一方で、世論の8割が賛成する「愛子さまの即位(皇室典範における女性天皇容認)」に対しては、「現行法があるからあり得ない」と突っぱねる。「ルールを変えてできるようにする」と「ルールだからできない」を同じ皇室典範の中で、同時並行で語る矛盾。与党の望む結論先にありきなのが明白なダブルスタンダードだ。 ​    歴史を振り返れば、男系の後継者が定まらない緊急事態には、危機を回避する中継ぎとして女性天皇が登場し、皇位を守ってきた。     歴史的実績もあり、国民からの期待も大きい「女性天皇容認」という素真面目な選択肢を排除し、歴史上類を見ない「元皇族からの養子」という奇策に固執する理由はどこにあるのか。     急ぎ対応するなら、女性天皇容認の皇室典範改定が先であるべきなのだ。     奇策を用いるべきかこそ、国民のコンセンサスを得ながら熟議を重ねていくべき事項だ。そうは、思いませんか? ​    正直に言えば、近代民主主義が掲げる「人権」や「人はみな平等」という原則に照らせば、天皇制の世襲には割り切れないものを感じるし、一方で歴史的にセーフティの役割を果たしてきたことを思えば賛成の視点も持つ。     さらに天皇制という制度ではなく「皇室」として見れば、そこにおられる方々の尊い行動に敬意を覚え、情が湧くのは割と自然のことだ。     ​だからこそ、余計に今の与党...

​言論も、私も、「紙くず」にされる日、あるいは新たなる戦前 シリーズ 国旗損壊罪⑤(最終回)

    これまで四回にわたり、国旗損壊罪という一見小さな法案の背後に潜む、法制度の罠や歴史の欺瞞について考えてきた。     ​前回は、宮沢賢治が『注文の多い料理店』に込めた警告(注:筆者の独自解釈による)は百年を経て、私たちが主権者としての権利と言葉を奪われようとしている現実と、奇しくも一致していることを示した。 ​    最終回となる今回は、国旗損壊罪推進派が常套とする「諸外国にも国旗を処罰する法律がある」という論理のペテンを暴くことから始め、この法案が目指すディストピアの「真の設計図」を白日の下に晒したい。 ​    国旗損壊罪推進派は「フランスやドイツ、韓国にも同じような法律がある。だから日本にないのはおかしい」と、表面上の条文だけを並べて主張する。しかし、ここには意図的な歴史の切り捨てがある。その国々の国旗が「どうやって誕生したか」という、血で綴った物語をわざと無視しているのだ。 ​    革命や独立運動という壮絶な手段で民主主義を勝ち取ってきた人々にとって、その旗印(三色旗や太極旗など)は天から降ってきたものではない。自分たちが命を懸けて暴政を打倒し、議会や憲法を築き上げたという「主権の証明」であり、民主主義そのものの象徴なのだ。     だからこそ、それらの国での国旗損壊は、国民自らが築いた民主主義の土台に対するテロ行為やヘイトと見なされ、法で規制されていることが推察される。 ​    翻って、日本の日の丸はどうか。前回までに示した通り、明治政府が中央集権国家を大急ぎで仕立て上げるために、まずは商船の目印として、のちには国民を統治するためのツールとして、トップダウンで配られた「統治の記号」である。市民が血を流して勝ち取った自由の象徴とは、出自も目的も百八十度異なる。 ​    それにもかかわらず、外国にも国旗損壊罪はあると嘯き、「革命の誇り」という看板から、「誇り」の部分だけこっそり借用する。品性下劣な詐術と言うほかない。 ​    では、国旗を巡る真の国家の品格とは何か。それを教えてくれるのが、一九八九年のアメリカ最高裁判所による「テキサス州対ジョンソン判決」だ。 ...

​『注文の多い料理店』と不敬罪、そして今 シリーズ 国旗損壊罪④

    国旗損壊罪について考えているうちに、私は一つの小説を思い出した。宮沢賢治の『注文の多い料理店』だ。 ​    あの物語の客(二人の紳士)は、山奥の西洋料理店に迷い込む。 「髪を整えてください」 「靴の泥を落としてください」 「顔を洗ってください」 「香水を付けてください」     一つひとつの注文はもっともらしい。むしろ親切にさえ見える。しかし最後になって客たちは気づく。料理を注文していたつもりが、自分たちこそ料理される側だったことに。気づいた時にはもう遅い… ​『注文の多い料理店』が出版されたのは一九二四年、ほぼ百年前だ。その翌年の一九二五年に、あの「治安維持法」が制定されている。そして賢治が生きた時代には、当然のように「不敬罪」が存在した。 ​    これは私の独自解釈だが、賢治は、不敬罪や翌年に制定される治安維持法が作り出す社会の空気を肌で感じ取り、それを寓話の形で描いたのではないか。私にはどうしてもそう読めてしまう。 ​    あの時代の日本もまた、国家の統合や秩序の維持という名目のもと、「天皇を敬いなさい」「国家を愛しなさい」「国体を疑ってはならない」という、政府からの注文が溢れる社会だった。その背後にあった目的は、欧米列強と渡り合うための「富国強兵」である。 ​    強い中央集権国家をつくる過程で、ほんの少し前には商船の目印に過ぎなかった日の丸が、天皇とともに「神聖な象徴」へと格上げされ、そこへの異議申し立てを不敬罪や治安維持法で抑え込んでいった。 ​『注文の多い料理店』の注文と同じである。一つひとつには理由がある。問題は、それらが一体どこへ向かっているかだ。     そしてこの物語には、もう一つ決定的に奇妙なディテールがある。紳士たちが連れていた「二匹の猟犬」の存在だ。     犬たちは、物語の序盤で「にわかに泡を吐いて死んで」しまう。紳士たちはそれを悲しむどころか、「二千四百円の損害だ」と損得勘定だけで片付け、平然と見捨てて店の奥へと進んでいく。しかし、自分たちが料理されかける絶体絶命の瞬間、風のように扉を破って現れ、山猫の化け物に噛みついて紳士たちを救い出すのは、死んだはずのあの犬た...

国旗損壊罪の「非親告罪」という罠 シリーズ 国旗損壊罪③

    前回は、国旗損壊罪が私たちの「内心」を監禁する不敬罪の復活だということ、そして、その先に続くことが予想される拡大解釈の恐ろしさについて考えた。 ​    今回は、推進派が必ず持ち出す最大の免罪符、「外国の国旗を破ったら罰せられるのに、日本の国旗を破っても罰せられないのは不平等だ」という論理のペテンを暴きたい。     一見、筋が通っているように思えるこの主張は、実は日本の歪んだ近現代史と、法制度の巧妙な罠を隠蔽する最悪のすり替えだ。 ​    まず、現行の刑法(92条)にある「外国国章損壊罪」がなぜ作られたのか。それは国旗損壊罪が守るとする国民感情のためなどではなく、外交問題を防ぐためという、純粋に実務上の理由からだ。 ​    明治時代に起きた「大津事件」を思い出してほしい。     来日中のロシア皇太子が日本の警察官に切りつけられた際、ロシアの軍事報復を恐れるあまり、明治政府は大審院(いまの最高裁)に「大逆罪を適用して死刑にしろ」と猛烈な政治圧力をかけた。     しかし、大審院長の児島惟謙はこれを拒絶した。法律にない「外国要人の特別扱い」を認めず、法の下の平等を貫いて通常の殺人未遂(謀殺未遂罪)として裁き、司法の独立を守ったのだ。この厳格な姿勢こそが、当時の国民の熱狂的な支持を受け、結果として近代国家としての日本の品格を国際社会に知らしめることになった。 ​    この「大津事件の教訓」に照らせば、いま推進派が叫ぶ「不平等」の解決策は、いたってシンプルだ。外国の国旗損壊罪という特別扱いを、きっぱりと廃止してしまえばいいのだ。     外国の旗であれ自国の旗であれ、破られたら通常の「器物損壊罪」として、布切れ一枚の物理的被害として平等に扱えば済む話だ。 ​    それなのに、推進派の政治家たちは頑なにその選択肢を無視し、どうしても新しく国旗損壊罪を作りたがる。     なぜか。答えは前回指摘した通りだ。彼らの本当の目的は外国旗との平等の達成ではなく、法律を使って国民の「内心」を縛ることにあるからだ。 ​    そもそも、...

国旗損壊罪は心を監禁する不敬罪の復活だ シリーズ 国旗損壊罪②

    国旗損壊罪の新設。これって、要するに戦前の「不敬罪」の復活ではないか? そう言うと「大げさな」と笑う人がいるかもしれないけれど、法理の根っこを見れば、驚くほどきれいに先祖返りしている。 ​    不敬罪とは、天皇や皇族への「侮辱(不敬)」を厳しく罰した戦前の法律だ。主権在民に反するとして戦後すぐに廃止されたはずのこの亡霊が、いま形を変えて蘇ろうとしている。 ​    なぜそう言えるのか。理由はシンプルで、この法律が罰しようとしているのは物理的な「実害」ではなく、国民の「内心」だからだ。     通常の器物損壊罪は、他人の財産を壊した実害を裁く。でも国旗損壊罪(自国旗)が裁くのは、布切れの損害じゃない。国家の象徴を粗末に扱ったという「お上への不敬な態度」そのものだ。     主語が「国民」から「国家」へ逆転し、国が上から国民の思想をジャッジして直接お縄にかける。シンボルを「人(天皇)」から「物(日の丸)」にすり替えただけで、やろうとしている統制の器は、かつての不敬罪そのものなのだ。 ​    そして、本当に恐ろしいのはここからだ。 「日の丸を破るのはマナー違反だから、罰則くらいあってもいいんじゃない?」と素朴に賛成してしまう人達は、国家に「万能のマスターキー」を手渡していることに気づいていない。 ​「象徴(抽象物)を侮辱する内心を罰する」というこれまでの法体系には無かった法理を一旦、法制度の中に組み込んでしまえば、その大義名分はどこまでも拡大できる。「国旗の尊厳を守るため」が通るなら、次は「国民が選んだ総理大臣や国会への侮辱も、国家の尊厳を揺るがすから許されない」となるのは火を見るより明らか。     戦前の不敬罪も、当初より順次適用範囲が拡大していったことを忘れてはならないし、悪名高い治安維持法も、最初は適用を絞るとしていたものが次第に拡大し、思想弾圧に利用されていったのだ。 ​    いま、お子様ランチの旗に国旗損壊罪が適用されるのかという議論が国会で大真面目になされている。ばかばかしい議論に貴重な時間を費やしているようにも見えるし、推進派は「そんなものは適用外」と慎重派をなだめる。   ...

日の丸に矢を向けるなって,いつの時代よ シリーズ 国旗損壊罪①

    国旗損壊罪が法制化されようとしている。    まず最初に問いたい。「錦の御旗に矢を向けるのか」という戊辰戦争時の発想が、二十一世紀の民主主義国家にふさわしいのだろうか。     日の丸が現在の法的地位を得たのは一九九九年の国旗国歌法制定によるもので、意外なほど歴史は浅い。が、その「威光」の根は遥かに深い。明治政府が廃藩置県を強行し、神仏分離・廃仏毀釈を断行しながら天皇制国家を構築した百数十年前、日の丸はまさに「錦の御旗」として機能した。     それに逆らうことは、国家への反逆に等しいとされた。臣民は旗の前にひれ伏し、やがてその旗とともに戦場へ向かった。    敗戦後、日本国憲法はその構造を根本から組み替えた。主権は天皇から国民へ移り、国家への忠誠ではなく、個人の尊厳が統治の原理となった。     日の丸もまた、本来ならばその転換のなかで意味を問い直されるべきだった。日の丸の旗の起源は少なくとも源平合戦の頃まで遡る事のできる古来からの物だ。     しかし、民主主義の世の中に変わった時点で、政府のお仕着せではない国旗を、国民が考え決めるべきだったのではないだろうか。もちろん、それは再び日の丸に落ち着いたかもしれないし、別のものになったかもしれない。要は、民主的な手段で決めるべきだったとする考えだ。     ところで、国旗損壊罪を求める声が拠って立つ論理は、驚くほど民主主義国家に転換する以前、つまり敗戦前のものに似ている。     「国旗を傷つける行為は国民感情を著しく害する」「国家の象徴を守ることは当然だ」と、そこに流れているのは、国家の象徴への不敬を許さないという感覚であり、旗そのものに内在する権威への服従要求ではないか。     民主主義国家における「象徴」の権威とは、どこから来るのか。それは国民が自発的にそこに意味を見出すものであって、刑罰によって強制されるものではない。    旗を燃やす行為が仮に愚かで品性を欠くとしても、それを犯罪として国家が裁く仕組みを設けた瞬間、私たちは「象徴への敬意」という内心の問題を法で義務づける社会へ踏み込ん...

原油備蓄を「自国を守る盾」から「世界をつなぐ架け橋」へ──日本型エネルギーハブ戦略

    ホルムズ海峡封鎖に伴う石油不足に窮した近隣諸国からの、日本の原油備蓄の融通を求める声に、当初私は、反発を覚えた。オイルショックの教訓から、長年かけて積み上げた自国の危機管理のための備えを、なぜ他国に差し出さねばならないのか、と。しかし、そんな自分の狭量さを今は恥じたい。     この国際状況を俯瞰してみると、そこには日本が国際社会で存在感を取り戻す好機が潜んでいた。     原油備蓄を自国を守る「盾」にとどめるのではなく、世界をつなぐ「架け橋」へ転換できるのではないか。更に、ものづくりの国としての日本の再躍進にも繋げられはしないだろうかと思い直した。     原油の途絶は、灯りの消えた街や、止まった物流、物資の不足に泣く家庭、という風景を連れてくる。そんな状況から、自国だけ免れれば良いというものではないだろう。     中東の産油国は、思うように輸出できず、消費国は供給不安に揺れている。そんな産油国と消費国の分断をつなぎなおすハブの役割を、日本が担う事ができるのではないだろうか。     そう、備蓄原油の活用と、世界屈指の石油精製能力で。     私が提案したいのは、原油の単純な転売ではない。     産油国から原油を受け入れ、備蓄原油をクッションとして活用しながらローリングストックし、国内でガソリンや軽油、航空燃料といった製品へと高付加価値化し、アジアやさらなる遠隔地へ安定供給する「エネルギー加工貿易ハブ」の構築だ。     それは利益を追求する『商売』以上に、アジアという巨大な生命体の循環を支えるポンプ『心臓』としての役割を担う。     産油国は、この混乱の中、日本を窓口に調整すれば原油の輸出がしやすくなる。また、 消費国は石油製品が手に入る。     日本にとっても、国際供給を大義に、原油を優先的に入手しやすくなるし、石油精製産業の活性化に繋がる。     つまり、三方よしだ。近江商人の言うところの「三方よし」は、「売り手よし、買い手よし、世間よし」という、商取引において売り手と買い手が満足し、さらに社会貢献につなが...

「エモさ」で平和を手放すな、と歴史は語る

    高市首相の台湾に関する発言をきっかけに、中国の対日措置がさらに強化された。     日中は互いに譲れないチキンレースを始めたかに見える。     この構図は、太平洋戦争直前に米国が日本に突きつけた外交要求書、ハル・ノートに似ている。     ハル・ノートには、日本が満州や中国での侵略行動を控えることや、国際的に合意した条約を順守することなどが要求されていた。     それは、「満蒙(満州と内モンゴル)は日本の生命線」とまで謳っていた日本にとって受け入れがたい内容だったため、日米間の緊張が極度に高まった。     結果として、日本は米国に対する憎悪に突き動かされ開戦を決意、真珠湾攻撃に至った。     怒りや感情が戦争の燃料になり得ることは、歴史が示しているのだ。 軍拡を堅調に進める為に世論をリードしてきた政府(軍を含む)だったか、いつしか立場が逆転。いれ込み過ぎた国民世論に逆に突き上げられて、開戦に踏み切らなければ国民が暴動を起こし内戦と化す心配すらしていたんだ。     私は当時の様子をこの目で見た訳では無いけれど、戦争体験者であり、豊かな取材経験を持つ、ジャーナリストの田原総一朗さんの著書に、この辺りのことが書かれている。     では現在の私たちはどうだろうか。SNSから繰り返し耳目に入ってくる類似情報を通じて、中国憎しの感情に無自覚のうちに刷り込まれ、さらに増幅させられてはいないだろうか。     今の中国は、日本の5倍の国力を持つ。軍事力も日本に対して圧倒的だ。高市首相が頭を下げるより、むしろ中国の首脳は、日本から先に開戦を決意して欲しいと望む可能性すらある。かつてのアメリカ首脳が日本から戦端を開くことを待っていたように。     だとすれば、日本のさらなる右傾化こそ、中国の望んでいることだ。穿った見方をすれば、中国の日本に対する締めつけは、敢えて増悪を引き出すため。     まあ、それは今のところ私の想像の域を出ないんだけど、歴史の教訓を忘れないこと。そして、感情が政治や外交を歪めるリスクは常に存在するという意識...

続・奈良ティブ選挙

    ナラティブ(narrative)というのは「語り」「物語」を意味し、話し手の視点、感情、体験に基づき紡がれる終わりなき物語のことだ。     高市話法の「奈良ティブ」も然り。奈良の鹿への加害では、SNSで見た→私自身が目撃。討論番組出席中止では、支持者に強く手を引っ張られた→公認証書を渡す際→官房長官が決めたと、変遷していく。どうしたって、その場しのぎの印象が強くなる。     また、レアアース採掘 では、レアアース含む可能性のある泥回収のニュースに対して、高市は、日本は、これから今の世代も次の世代もレアアースには困らない。と、自らの期待を事実であるかのように発信している。これを首相からのメッセージとして受け取る側の国民は、完全に事実誤認しちゃうよね。     奈良ティブの特徴をまとめると、以下の3点に集約される(私調べ)。 ① 事実が感情に置き換わる (鹿の件、目撃談の変遷) ② 期待や願望が政策になる (レアアース「困らない」発言) ③ 間違いを撤回しない (存立危機事態・台湾有事)     その帰結として、「首相の内面が国家の判断基準になる」。 客観性を欠き、事実とも異なる政策が独善的に進められていくのは、日本の国民にとって、不幸な未来を呼び寄せる可能性が高い。     事実よりも首相の語りが優先されて、後戻りする事の無い政治は、政治制度としての独裁制ではないけれど、実質的には独裁と変わらないと思うんだ。     安倍晋三元首相は、かつて、「これまでとは違う新しいお約束」と言ってのけるちゃぶ台返しを行なったけど、今後の高市政権下では、これが頻繁に起こることにだろう。 過ちを認め撤回することは無く、都合良く上書きする。謝ったら死ぬ病で国の舵取りをやられると、軍拡・戦争のできる体制づくりにのめり込みな高市だけに、戦争への不安が広がる。     一見、前向きな奈良ティブは、平時には未来への希望にも見える。 だけど有事には、最も危険な意思決定装置になる。     今からやって来る、「未来への投資」や「安全保障」のための増税に耐えるのもしんどいだろうけど、さらにその先には、徴兵制度の復活...

菅原一秀さんは、こんな人

    元衆議院議員の菅原一秀さんが、この度の2026年2月8日が投票日となる衆議院選挙に立候補している。     今回の選挙は、公告から投票日までがわずか16日間とあって、有権者が候補者について調べる間もなく投票日を迎えかねない状況になっているよね。     そこで、少々お節介ながら、私が以前から注目している菅原一秀さんの人となりについて紹介させて欲しい。そして、投票の目安の1つとして頂けたら嬉しく思います。     まず第一に、菅原一秀さんは、何事にもめげない諦めない人だ。 公職選挙法違反の疑いをかけられた時に議員辞職し、その後、有罪判決を受けて、3年間の公民権停止ののち、カムバックを狙った選挙で落選、しかし今回の選挙でも自民党の公認を受けてカムバックを目指しているんだ。     そこまでして国会議員の座にしがみつきたいのか、余程の旨味があるのだろうなどと勘ぐる人もいるけど、そうした風評が菅原一秀さんの内心を正しく表しているとは限らない。内心は本人にしか分からないのだから。諦めず執念深く、選挙にチャレンジしているという事だけが事実だ。     菅原一秀さんは、夢みる大切さを忘れない人のようでもある。高校時代の菅原一秀さんは、強豪高校の野球部に所属する球児だったんだ。厳しいポジション争いの中、バッティングピッチャーという絶妙なポジションを得てチームに大きく貢献した。ベンチ入りすること自体が無かったから、1度も甲子園には出場していない。本当はずっと観客席から応援していたんだけど、選挙公報には、「4度の甲子園出場」と書いた。     これは夢見る大切さと、補欠選手だって甲子園出場選手に負けない誇りを持て、と伝えたかったんだと思う。決して見栄による嘘、いわゆる虚偽の記載とは別物と信じたい。     また、菅原一秀さんには、女性をとても大切にする人の一面もあるかもしれない。 「女は25歳以下がいい。25歳以上は女じゃない」「子どもを産んだら女じゃない」という暴言を吐いたとされているけど、本当の菅原一秀さんの姿とは少々異なっているかもしれない。     その根拠は、交際女性をハワイへのゴルフ旅行に招...

奈良ティブ選挙

    最近耳にするようになった、ナラティブ(narrative)という言葉は、客観ではなく語り手の視点が中心、対話や状況によって紡ぎ直されていく、事実そのものより感情移入や共感を生み出す物語を指すらしいね。     私はてっきり、奈良出身の政治家が話す、奈良の鹿が外国人に蹴られた話が、SNSで見た→撤回するわけにはいかない→私自身の目撃談と、 次第に紡ぎ直されていく逸話そのものなので、そこから「奈良ティブ」って造語が作られたのかと思っていたけど、ちゃんとした英語だったのね…     そんな奈良出身の政治家こと、高市早苗首相が、「今円安だから悪いって言われるけれども、輸出産業にとっては大チャンス。」「円安でもっと助かってるのが、外為特会っていうのがあるんですが、これの運用、今ホクホク状態です。」「だから国内投資をもっと増やしたい。そう思ってます。」という発言をしたそうな。     それが本当なら、日本という国家にとって良いことずくめだねぇ。ということは私たちにとっても良いことずくめだろうか?     いやいや、これは政策説明というより、「今は苦しいけれど実は大丈夫だ」という安心を与えるための物語だ。客観的事実ではなく、感情移入や共感を得ることを目的とした、奈良ティブだよ。     輸出産業は、本当にそんなに儲かっているかな?日本は、輸入した原材料を加工して輸出する事が多いから、円安下では原材料費が高くて、案外と薄利多売になってしまっているのではないか。そして、輸出している大企業は儲かっていても、そこに部品なりを納めている中小企業は、原材料費の高騰をなかなか価格に転嫁できずに苦しんでいるのではないだろうか。輸出大企業の業績だけで景気は測れない。     円安で儲かった企業が国内投資するといっても、人手不足を補うプランは無く、外国人の労働市場への門戸を広げるという話は、むしろ逆行している。     また、円安で外為特会がホクホクなどと、円安インフレに苦しんでいる国民に向かって、よくそれが言えるものだと、呆れるのを一周して感心してしまう。     外為特会でホクホクと感じるなら、物価高による消費税...

選挙に負けたくらいで、高市サンは首相を辞めっこ無いよ

    みんな、騙されちゃだめだよ。高市氏は、今度の選挙で自民党と維新が過半数を取れなくても、首相を辞めることはないから。   背水の陣と見せかけているけど、あれは票を稼ぐための演技にすぎないと私は確信している。現状で過半数超えている上に支持率が高いわけだから、背水の陣どころか、過半数超えのハードルは低いと、高をくくっているはずだ。     辞めるわけがないのは、総務大臣時代を思い出せば分かる。     問題の文書が本物なら辞任する旨を自分で口にしておきながら、いざ本物らしいとなるとゴネにゴネて辞めなかった。     旧統一教会の、いわゆるTM文書に名前が出た時も同じだ。出所不明だと決めつけ、説明責任すら回避し続けている。それどころか、衆議院解散の本当の理由もTM文書に関する高市自身への国会質問を回避するためとすらまことしやかに囁かれている。     そんな人物が、選挙で過半数を割った程度で首相を辞めるはずがない。     ここで思い出されるのが、高市氏がことあるごとに持ち出す安倍晋三元首相の「これまでのお約束とは異なる新たなる判断」発言だ。     公約を破ることに何の躊躇もない、あの政治手法を高市氏は踏襲するだろう。     おそらく国民民主党あたりを与党に引き込み、理屈をこねて「曲がりなりにも、与党で過半数は維持している」と言い出すだろう。     自身の言葉よりも民意よりも、我欲の優先。その延長線上に、高市 続投はある。     嘘だと思うなら、今度の選挙は自民党への投票を止めてみて。自・維で過半数を超えてしまったら、私の説が証明されないからさ。

「そんなことより解散」で、国民そっちのけ〜

   高市氏が衆院解散の理由を発表したね。    どんな内容になるのかとドキドキしたけれど、期待感を煽ろうとしているだけで、中身は何にも無かった。単なる広報だ。     どう理由を付けた所で、支持率の高いうちに選挙に勝って、衆議院の議席数で過半数を得たいというだけの大義なき解散だということは誰しもが知っていることだけど。     政治空白を作らないために解散から投票日までを最短になんてことを言っているけど、政治空白は安倍内閣後期からこっち6〜7年に渡り続いているのだ。政治空白というより、政策空転と呼ぶべきかもしれない。     安倍内閣は、中期頃までは国民・国会での説明を避けつつ閣議決定という問題のある手法ながら政策を動かしてはいた。しかし、後期となると、少子化問題、労働者不足問題、低賃金問題、社会保障、財政再建等々、ほぼ何も決まらないまま、データを改ざんして誤魔化したりと政治空白が起こっていた。     菅内閣は、新型コロナの対応で手一杯で同情すべき所はあるが、次の岸首となると、検討、丁寧な議論、聞く力などという言葉が並ぶばかりで何も進まない政治空白。続く石破内閣も、何もし内閣と揶揄されるほどにスピード感が無かった事は記憶に新しい。     そして高市内閣。前の石破内閣が野党に押し切られて実施が決まっていたガソリン減税を自分の手柄にする厚顔ぶりを発揮したものの、実は就任から3カ月、ほぼ何も決めていない。決めたと言えば、防衛費積み増しの財源としての、所得税の1%増税くらいのものだ。内閣が交代する度に総裁選挙で、政治空白がさらにずるずると引き延ばされている。     つまり、自民党はずっと政治空白を作り続けているわけ。    この先、さらに政治空白が続くなんて冗談じゃないよな。     言っておくけど、政権交代じゃなくてずっと自民党政権だからね。高市氏は、前の政権の事は知らんなんて顔してるけど、ずっと自民党空白政権の要職にあった人であり、政治空白の責任ありありな自民党の現状トップな訳だ。そして、国民の信任を得ていないからとさらに空白期間を伸ばす。安倍内閣が終わったのが202...